3104丁目のオタク小屋

ゲーム。プラモ。アニメ。マンガ。ウォーハンマー 。たまにその他。役に立たない1000文字系短文駄文です。

【駄文日記】ハルキストに八つ当たりだマン‼︎

めちゃんこどうでもイイ話です。

少し前の話になりますが…今年のノーベル文学賞カズオ・イシグロさんが受賞されましたね。前から気にはなっていた作家さんですが未だ読んだコトがなかったのでこの機会に読んでみたいと思ってます。

とまぁここまで100文字が前振り。残り900文字が本題です。

毎年ノーベル文学賞発表の時期になると何故か(一部で)クローズアップされるのが村上春樹と彼の著作のファン?の乱痴気騒ぎ。今年は見なかった感ありますが、何故か「ハルキスト」というダセェ感じにカテゴライズされたコア春樹ファン(っぽいピープル)がシャレオツな本屋兼カフェー的ポインツに集い固唾を飲んで発表を見守る→受賞を逃し落胆するハルキスト達のアップ→どうでもいいハルキスト達のコメント…ってパターンを割と見た気がするんですよね。気のせいかも知んないけど。

で…ソレを見る度にいっっっっっつも思っていたのが「このハルキストって人達…なんでそんなにガックリきてんの?」ってことなんですよね。

一応言っておくと、ウチは村上春樹が割と好きです。著作全部を読破してるってワケじゃないですがデビュー作の『風の歌を聴け』は100回以上読んでますし、2作目の『1973年のピンボール』も数十回は読んでる程度には好きです。『ノルウェイの森』も10回くらいは読みましたし…読むたび「ズーン」ってなるのがツラいんですけどね。関係ないっすね。サーセン

でもウチはそんな愛しの村上春樹ノーベル文学賞を獲ろうが獲るまいが全くどうでもイイんですわ。マジで。心底。徹頭徹尾どうでもイイ系なんですよ。そりゃまぁ好きな作家ですし受賞したなら「良かったネ」とは思いますが、受賞を逃したからって「残念ネ」とは全然ならないんですよね。

だって、なんちゅーか…当たり前のコトですが、ノーベル文学賞を獲ったからって急にその本の内容が凄くなったり面白くなったり高尚になったりするワケじゃないですもん。自分にとって惹かれる何かがあったからその本を好きになったワケで、その惹かれポインツってヤツはノーベル賞の有無で生まれたり無くなったりするモンじゃないんですよ。だからノーベル賞の有無なんざ本の面白さには全く関係ないんですよね。ま、書くのもアホらしいくらい当たり前のコトですが。さらに言うならノーベル賞を受賞した作品が素晴らしいのは確かでしょうけど、だからと言ってソレを読んでる読者が偉いワケでもなんでもないのも、これまたあたり前田のクラッカー系事実。

ウチが村上春樹ノーベル文学賞を逃してガックリしてたハルキストと呼ばれる人たちにな〜んか苦手〜なオーラを感じるのは、彼らから「ほら、春樹作品ってやっぱりノーベル文学賞を受賞するほど素晴らしい作家ナンダヨ!! だからハルキの良さを理解し愛読してる僕らは見る目があるし間違ってなかったンダヨ!!」的な自己肯定感MAXの匂いを感じるからなんですよ。ノーベル賞を受賞した作家が素晴らしいからと言ってソレを好きな自分が素晴らしいってワケじゃないのにソコを間違って同一化しちゃったとしたら…なんちゅーかダセェなぁ…っと思うワケです。え? 気のせいっすか? でも思ったんだから仕方ないっす。サーセンっす。

気づけば勝手にヒートアップしちゃって1200文字になっちゃってたのでここらで唐突に終わりにしますが、ハルキストと呼ばれて嬉しそうにしてる人たちは、まずは村上春樹本人が「ハルキスト」という呼称を快く思ってなくて、「ムラカミスト」もしくは「村上主義者」という呼び方を(冗談まじりに)提案してるという事実に従い、自らをハルキストと呼ばれるコトに異を唱えるトコロから始めた方がイイと僭越ながらご提案申し上げる次第です。ちなみにウチは大内幹男サン発案の「ハルッキアン」派。ま、そういう呼び方も作品の良し悪しには一切関係無いのでどうでもいいダッセェコトなんですけどね。

あと最後になりましたが、この駄文が無駄に言いがかり気味&攻撃的なのは、一週間ぶりに本部に来たらウチの座席が知らないうちに消滅していた腹いせです。総務部の空きスペースに滑り込んでパチパチこの駄文を書いてますが、要するに、つまりは、完全な八つ当たり。ウチもめちゃダッセェっすね。やっぱサーセンでした〜。(だいぶオーバーの1766文字)