3104丁目のオタク小屋

ゲーム。プラモ。アニメ。マンガ。ウォーハンマー 。たまにその他。役に立たない1000文字系短文駄文です。

『神様が降りてくる夏』読了マン。

少し前の話になるんですが…やっと読みました。飛火野耀の『神様が降りてくる夏』を。 

この小説、初版が出たのがが1996年7月…つまりはもう20年前の本。著者の飛火野耀はゲームノベライズ小説を3冊、そしてこの本を含むオリジナル小説を3冊の計6冊を上梓した後に謎の失踪を遂げてしまった人で、当時の発行レーベルから鑑みるに、今で言う「ラノベ作家」にカテゴライズされるであろう作家です。

しかしその著作を一作でも(特に『もう一つの夏へ』を)読まれたコトがある人なら解ると思いますが、その作風というか読後感は一般的に「ラノベ」と呼ばれる小説とはどこか異なるもので、その独特の作風から一部(ホントにごく一部ですが)の読者から当時強く支持されていた作家だとウチは思っています。…まぁ強く支持されていたのは『もう一つの夏へ』だけかも知れませんが。
ウチもこんな駄文を書いているくらいですから当然その一部に属していたワケで、この『神様が降りてくる夏』以外の著作は全て出版当時にリアルタイムで読みました。特に『もう一つの夏へ』はもう何回読んだかわからないくらいで、引っ越しやら友人に貸したりやらで、手元から消える度に新しく買いなおしてその都度再読してしまうくらいに好きな小説なんですよね。以前この駄文にもちょこっと書いたコトがありますし。

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 その飛火野耀の最後の著作にして、ウチが唯一未読だった小説が今回読了した『神様が降りてくる夏』で、実に20年間探していた小説をやっと読むことが出来たってワケなんです。少し大げさかもしれませんが、実際ウチにとってはそれくらいの想いが詰まった本だったんですよ。
文庫ではなく単行本だったのでおそらく発行部数も少なかったのでしょう、古本屋で見かけることなどなく、ネット上ではプレミア本扱い…結局は我慢できずに図書館で借りて読むことにしました。本当は自分で手に入れてから読むつもりだったのですが流石に疲れちゃいましたし。
 
で、読んだ感想ですが…正直言って特に胸に刺さるモノもないごく普通の物語でした。少し寂しい話ですが、実際そう思ったのだから仕方ないですな。
自分の中で20年という時間で発酵しきった期待感があったのは事実ですけど、それを差し引いても『もう一つの夏へ』に較べて凡作だったなぁ…と思っちゃったワケです。
一応内容をざっくり説明しますと、人のオーラが見える少女とごく普通の少年のひと夏の出会い「Boy meets Girl」モノを軸に、地球の未来を救うという救世主を信奉する新興宗教団体やUFOとのコンタクトを図る怪しげなヒッピー集団が絡んできて、やがてはその救世主を巡って世界の未来を左右するような展開となっていく…って塩梅です。
 

『もう一つの夏へ』でも感じた、飛火野耀の特徴でもあるどこか乾いたような文章は健在でしたけど、ウチにとって『もう一つの夏へ』の一番の魅力であった作品を通して底の方でずっと流れていた「大切なものを失った喪失感」「もう二度と戻らないもの、決定的に変わってしまったものへの想い」みたいなモノが本作には感じられなかったんですね。

でも考えてみれば、コレは『もう一つの夏へ』が色々なものを失っていく「喪失」の物語だったのに対して、この『神様が降りてくる夏』は色々なものと出会い成長していく「成長」「解放」の物語だったとも言えるワケで、中身が違う二つの物語に同じモノを求めたウチの不明を恥じるべきだったのかも…ですね。

あと、20代と40代というウチの読んだ時期の感性の違いも大きかったと思います。20代という良くも悪くも多感な時期に読んでいたならもっと刺さっていたかもしれませんし。まぁそれは言っても詮無いコトですけどね。
 
などとエラソーに文句ばっかり書きましたが、そうしたモノを全部ひっくるめた上で…それでも読むことが出来て良かったと思っています。『もう一つの夏へ』を読了したときに沸き起こった感情には及ばないですが、その時の感情の残り香みたいなものを微かに感じることは出来ましたし、『もう一つの夏へ』とは違うどこか明るい方へ向かっていくような爽やかな読後感も心地よかったですから。
 
いずれにせよ、これで飛火野耀名義の著作は全て読了しちゃったってコトになっちゃいました。しかし一説によると失踪後も別名義で執筆を続けていたそうなので、機会があればそちらも調べて読んでみるつもりです。
『もう一つの夏へ』の時に感じたあの読後感はもう二度と望めないのかも知れませんが、それでも…「もしかしたら」っていう気持ちもありますしね。だから読書って…辞められないんですね。ホントに…ね。